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Channel: 伊勢の手鏡
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70年前の今日 (伊勢の空襲)

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戦後70年各マスコミは終戦の特別寄稿で紙面を割いています。
皮肉にも安保の記事とダブっているのは偶然でしょうか。
70年前の今日7月29日は私にとっても忘れられない日でした。昭和20年6月20万人の犠牲者を出して沖縄戦が終わると本土への空襲が激しくなりました。三重県も津市をはじめとして伊勢(旧宇治山田市)も空襲を受けました。
29日夜間志摩半島から侵入したB29約40機は1万数千発の焼夷弾を投下し市内60%を消失しました。当時若者は戦地に行き、残っているのは年寄り、女性、子供たちで逃げる事しかできませんでした。
夜、月明かりの中、宮川の磯の河原に逃げました。膝まで水に浸かり手を引っ張られて走るのですが水に濡れたズボンは足に絡みつき最後はパンツだけしかはいていませんでした。
焼夷弾というのは日本の家屋が木と紙で出来ているのを油で焼き尽くす爆弾です
宮川の堤防から伊勢の町が焼け落ちるのを見るだけでした。明け方焼野原になった我家に戻ってきた時の寂しさは一生忘れません。
それから終戦の8月15日まで焼け残った防空壕で暮らしましたがたびたび艦載機の機銃掃射のバリバリと言う音がするたび防空壕へ飛び込みました。
写真は新聞や空襲展などの写真が近所を写したものでしたので借用しました

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戦災に会った旧伊勢市
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現在の尼辻交番の南側
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現在の厚生小学校
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我が家周辺
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我が家の近辺
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戦後少したってからの伊勢市駅
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伊勢市駅前のバラック
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8月15日の伊勢神宮前
伊勢神宮は戦火を免れました。
イメージ 10焼夷弾

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